坂本 久美(さかもと くみ)

Profile
・千葉県立犢橋高校出身
・東京スポーツ・レクリエーション専門学校鍼灸科(現東京メディカル専門学校)入学・卒業
・鍼灸師免許取得
・ひらい整骨院グループ(現HSコーポレーション)就職
リフレ整骨院葛西分院配属
りふれ整骨院西大島分院オープニングスタッフとして配属
りふれ整骨院分院長を就任ののち退職
・さつま骨格矯正鍼灸接骨院転職
副院長を就任ののち
中目黒分院院長、本院院長へ
・さつま骨格矯正鍼灸接骨院退職後Recovery(リカバリー)へ

 
初めまして!
産まれは青森、育ちは千葉、一人っ子の鍼灸師、坂本久美と申します。
母の実家が青森県なので、夏は数ヶ月青森で育つ、そんな生活を送っておりました。

小さい頃から肉が大好き!
「青森で美味しいものはなーに?」と近所のおばちゃんに聞かれると、胸を張って「からあげ!!」と答える子供だったようです。
まぁ今でも変わりませんが(笑)


 

食べることが大好きなので、小さい頃からブクブクプクプクでしたが、

(写真を見ると自分巨人www)

小学校4年生からバスケットを始めました。4年生からの1年間で身長がぐんぐん伸び始め、足のサイズも3.5cm大きくなりました。

成長痛に苦しむ小学生時代。
その頃から近所の接骨院にお世話になっていました。

小学生6年生で160cmくらいあったので、その時代は大きいほうでずっとセンター(スラムダンクでいうとゴリです)をしていました。
実は、その頃と身長変わっていません。

 

バスケットは大好きですが、中学生になり、陸上部・テニス部・そのままバスケットを続けるか、少し悩みました。
陸上の短パン…
テニスのスコート…
バスケットのパスパン…
結論、1番長いバスケット部に入部しました。
中学生時代も接骨院のお世話になっていました。

中学校三年生 体育祭    足元をご覧ください。テーピングしてますw

高校選びは、バスケットを本気でやっているところ!と決め、スポーツ推薦で高校は入学しました。
バスケ部に専属のトレーナーさんがいて、そのトレーナーさんが鍼灸師でした。接骨院に所属している方だったので、その接骨院に通う日々。
鍼デビューも骨折した時の骨接ぎデビューも、その接骨院でした。
キャプテンを勤め、本当に厳しい高校バスケ部時代を送りました。


 

引退してから、考えなければいけない進路について。
実は小学生の頃からの夢は、「体育の先生になってバスケ部の顧問になること」でした。
しかし、ずっとバスケの為にだけ生きていた為、勉強を全くしていなかったのです。体育の先生になるには、もちろん大学に進学。
その時もう一度何がしたいかと考えた時に、小中通っていた接骨院の先生、高校時代の鍼灸トレーナー、接骨院の先生方の姿が浮かび、『鍼灸師になろう!』と決めました。

 


 

無事、東京スポーツ・レクリエーション専門学校鍼灸科(現東京メディカルスポーツ専門学校)に入学。
入学した理由は、鍼灸トレーナーを育てることに力を入れていたからでした。
最初は授業についていくのも大変で、定期テストに落ちてお金を払って追試…なんて時期もありましたが、実技だけは大好きな生活を送っておりました。

実技の授業で、足裏にお灸の練習をしています。

在学中、原因不明の血尿と不正出血。
最初は腎臓病を疑われ検査を続けていましたが、腎臓病ではないことがわかり。
婦人科も何個も病院を変えたりして検査しましたが、原因がわからず。
そんな時期に、続けざまに痴漢に遭遇。かなりストレスでした。
そんな時、相談した学校の女性鍼灸師の先生に
「症状を治す為の治療は大事。だけどね、今の1番はパートナーに手をそっと握ってもらうことだよ。」と言われました。
心のケアをすることも治療だ!と衝撃を受けたことを覚えています。

 

鍼灸トレーナーになりたいと思い入学しましたが、だんだんと鍼灸について学んでいき、そんな自分の経験もあり、女性の力になれる鍼灸師になりたい!という思いが強くなった頃、国家試験に合格。
晴れて鍼灸師になりました。

 


 

卒業後は、やはりトレーナーではなく、整骨院では働きたいと考えていたので、オイルマッサージなども取り入れている整骨院を選んで就職。
実は、私、人見知りです。
最初の3ヶ月は、色んな意味で地獄でした。毎日泣きながら帰りました。
悔しいから辞めない!と決めてはいたものの、挫けそうな日々を送っている頃、転機が!
新店舗をオープンするから、オープニングスタッフとして別店舗に移動することに。
私の人生を大きく変えてくれた先生方、患者さんに出会いました。
人との関わり方を学びました。
施術はもちろんですが、心と心で繋がる。下町なので、皆さん口が悪い。だけと、口の悪さの中に愛情があり、人としてすごく成長させてくれた場です。
その整骨院で分院長を務めましたが、心の病にかかりました。
今考えてみればもっと出来ただろうに、と思い悔しくなりますが、その当時は自分のキャパオーバーになってしまったようです。
患者さんと触れ合うことは本当に大好きだったので本当に悩みましたが、患者さんの為にも、スタッフの為にも、そして自分の為にも退職する決断をしました。

 


 

退職してからは、鍼灸師としては働きませんでした。
外に出たいと思えるようになってからは、ちょっと憧れだったOLをしてみたり、接客に力を入れている飲食店で働いてみたり。
だけど、どこか物足りなさを感じたのです。

 

もっと深く人と関わりたい。
施術者に戻りたい。と。

 

自然と戻りたいと思える日がやってきたようです。

 

もっと施術者として技術を身に付けたい。と思い、さつま骨格矯正鍼灸接骨院で働き始めました。

今のリカバリー矯正の原点でもあります。
そこでは今までの整骨院とは全く違い、全てが自費治療。
技術!技術!技術!という接骨院でした。
総院長やスタッフにも恵まれ、心の病など全く出ることなく、本当に心から楽しく働くことが出来ました。

研修旅行の沖縄にて

 

新規店の院長を任していただき、その後は本店の院長まで任せてもらい、人間としてもさらに大きくなれたと思いっています。

 

施術者として、結果を出すことはもちろんです。
そこには、心が必要だと思っています。
鍼灸師になった頃からこの気持ちは変わりません。

 

全ての悩める皆さまの力になりたいです。
その為に、これからも勉強をし、技術の進歩、人間として成長し続けていきたいです。